紙一重

禁煙継続中

金曜日に”決起集会”なる飲み会。給料日一週間前でやや辛いが参加。さて、禁煙成功の自慢話をネタにしゃべっていたら、当然というか喫煙者からバッシング&リクルート。「ま、禁煙でお疲れでしょうし、どうぞ一服」とかなんとか言われて、火のついた夕バコをくわえるハメになった。吹かす真似してすぐ消したけど。半年の努力が瓦解する瞬間を楽しみに見ていた喫煙者連中は、それを見てリクルートを諦めたようだった。

んー、危ないといえば危ない瞬間だったが、どの程度危ないかよくわからん。自覚に欠ける行動ではあった。しかし、余裕と決意を持って夕バコを消せたのも確かだ。あまり危ない橋を渡るもんじゃないな。

以前、書いてほっといた”夕バコは麻薬か”の続き。

結論から言えば、麻薬だ。止めた今分かるのは、夕バコは自分にとって明確に向精神薬だった。

ふつう麻薬・大麻の類は人間の精神に明確な作用をもたらす。ハイになる、スローになる、アップ系、ダウン系など。ところが夕バコにそんな作用はない。正確には、吸い始めた当初”けだるい爽快感”という感じがあったが、でもそれだけ。

夕バコの作用は神経伝達物質をニコチンと置き換えるところにある。単に類推しているだけで何の専門的根拠もないが、ともかくこう言える。頭脳には無数の神経細胞があり、その間をつたう神経伝達物質の多寡で、記憶から感情まで様々な精神作用が決まるらしい。そういう精神作用に応じて分泌される物質がニコチンに置き換えられていく。するとどういう事が起こるか、たとえば興奮に応じて夕バコの本数が増えるのだ。本来であれば自前の伝達物質を分泌して維持される”興奮”という状態が、自前の物質では足りずニコチンの摂取を必要とするようになる。ほかにも苛立ちを鎮めようとするときにも同じことが起こる。

ま、そのうち感情や精神を作り出すのにタバコが必要になる。ときどき喫煙者が感じる束縛感はこの事によるのじゃなかろうか。タバコなしには自分自身が維持できないに思われる。これを肯定的にとらえる向きにはタバコがアイデンティティという具合に表現される。

まー、もっぱら実利的理由で禁煙した自分としては束縛感なんてことは言えた義理じゃないんだが。タバコを”静かな麻薬”と表現したい。